石碑 sekihi
地獄橋跡
春日神社の北西の大堰から取り入れた水は北谷沼 といわれた 東西はここから矢場 北は大堰まで三角の沼に湛えられ 馬場曲輪の橋とこの橋の堰 で調節されて第二の内行田沼に入った 赤城颪(アカギオロシ)[...]
太鼓門跡
忍城十五門の内の 一番奥で藩主居城の二の丸の入口にあった門で 東西に数百米めぐらされた白壁の塀の中央に二重櫓の御門であったこの門より西 ほゞ忍中学の校地が二の丸で平屋十数棟が藩主居城として[...]
向吹御門跡
古く成田氏時代 向吹 江戸町 同心町の地は 一つの島をなし 城の東南の重要な曲輪であった 内行田曲輪と結ぶ向吹御門は 俗にデングリ橋が かゝり 常には通行が出来なかった 東に清善寺の格式高い曹洞禅寺[...]
大手御門跡
南北二百米、東西五十米の升形門内の桜松から望む大手門の偉容は壮観であった北谷口御門からこの先まで続く石垣の上の白壁の塀大手橋を渡り ここに南面して立つ大手門は老中又は五摂家十万石にふさわし[...]
皿尾口御門跡
忍城北西の御門として戦略的にも重要な所であったので堅固な曲輪で囲み 二つの谷と大きな格沢を利して守りを固めた上杉謙信石田三成の忍城攻めの時も 少数よく人敵を防いだ古戦場である建立 行田ライ[...]
八軒口御門跡
忍城十五門の内八軒口御門跡成田氏が八幡社を八軒の近くに移し新町として市日が立つようになったのは四百五十年前である
天満が武家町として造られたのは文政六年百五十年前である大手門に通[...]
天満口御門跡
文政六年三月 松平下総守忠堯桑名より忍に移封阿部侯より数倍の家臣を持つ下総守は急據居宅造成 佐間村一角のこの地に與力等の町を造り、 大阪天満與力にあやかり天満社のあるのを幸いに天満と名付[...]
諏訪曲輪御門跡
本丸の北東を包む一大曲輪の北口として諏訪曲輪御門は更に北東を囲む多聞曲輪への出入口として軍事上重要な御門であった。明治七年下荒井の地より東照宮を移し家康公画像を御神体とす
昭和五[...]
