中仙道 nakasendou
八木橋百貨店
熊谷を代表する百貨店であって、いくつもの店舗が八木橋百貨店内で営業している。それではなぜ、歴史コンテンツとしてこの八木橋を取り上げる必要があるのか?と疑問に思う閲覧者の方も多いのだと思う。[...]
みかりや跡
中山道を往来する旅人相手の茶店で「ががらぎごぼうに久下ゆべし」の言葉がある通り「柚餅子」が名物だったのだろう。また忍藩の殿様が鷹狩りに来るとここで休んだので「御狩屋」と呼ばれたという
原馬室一里塚(ハラマムロ)
徳川幕府は参勤交代を契機として、街道の整備、宿駅の 制、伝馬の制を定めた。一里塚は、街道整備のひとつで、主な街道に設けられた距離の目印である。江戸の日本橋を起点として、一里(約四キロメート[...]
鴻巣御殿跡
鴻巣御殿は文禄二(一五九三)年、徳川家康によって 鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として建てられ、その敷地は一町四反歩(約一・四ヘクタール)に及んだ。 その後、秀忠、家光の三代にわたって将軍家の鷹狩の[...]
前砂の一里塚
江戸時代初期、参勤を契機として街道が整備され、主な街道には距離の目安として一里塚が築かれた。慶長見聞集によると、中仙道の一里塚は慶長九年(1604年)に築かれた。一里塚は、江戸日本橋を起点[...]
伊奈忠次・忠治墓
徳川家康の関東入封における伊奈忠次と大久保長安の功績は大きい。長安は街道整備、中でも一里塚の創建に余念がなかったし、伊奈一族は、関東の利根川、荒川を初めとした河川の治水そのほとんどを担った[...]
権八地蔵(鴻巣市荊原)
「ごぞんじ、鈴ヶ森」江戸の処刑場です。今でも歌舞伎の演目として人気がある「御存 鈴ヶ森」の一幕に登場する白井権八という不良少年をご存じでしょうか?
いわゆる「辻斬り」、人殺しです[...]
幻の村「新川村」
なぜ幻なのか?おとか伝説とは?
新川村 様々な暮らしのエピ[...]
久下の一里塚
吹上の間の宿を越え、榎戸堰~途中権八地蔵~久下の長土手。堤防から行田駅が確認できます。
それを熊谷宿方面へ、するとすぐの堤防右下になにやら松が植えてあります。
これが久[...]
