忍城 castle_oshi
御本陣跡
代々町年寄の八代樋口太郎三郎が本陣を仰せつかったのは安永四年(一七七五年)弘化三年(一八四五年)初午の大火後、立派な本陣を造ったが明治三年廃止となりそば屋松月庵となった明治四年一月十三日出火し東隣の脇[...]
八軒口御門跡
忍城十五門の内八軒口御門跡成田氏が八幡社を八軒の近くに移し新町として市日が立つようになったのは四百五十年前である
天満が武家町として造られたのは文政六年百五十年前である大手門に通[...]
天満口御門跡
文政六年三月 松平下総守忠堯桑名より忍に移封阿部侯より数倍の家臣を持つ下総守は急據居宅造成 佐間村一角のこの地に與力等の町を造り、 大阪天満與力にあやかり天満社のあるのを幸いに天満と名付[...]
二重櫓跡
忍城北西の見張りとして立派な二重櫓を築く矢場の武家屋敷より外堀り越しに見る二重櫓の美観は 南の三重櫓 今の常盤通りより見る多聞櫓と三つの白壁の櫓は忍城の景観であったという 昭和五十四年三[...]
忍の時鐘楼跡
高さ一五一糎 外径七九、五糎の洪鐘は享保二年(一七一七年)桑名城主松平忠雅が造り 宝暦十四年(一七六四年)忠刻が再鋳し、文政六年(一八二三年)忠尭移封と共に海路運ばれ この曲輪二層櫓の上から 時鐘とし[...]
諏訪曲輪御門跡
本丸の北東を包む一大曲輪の北口として諏訪曲輪御門は更に北東を囲む多聞曲輪への出入口として軍事上重要な御門であった。明治七年下荒井の地より東照宮を移し家康公画像を御神体とす
昭和五[...]
谷郷口六ツ門跡
忍藩の穀倉地帯 谷郷 星宮に通じる重要な道の出入りを見張る谷郷口御門で 明六ツ、暮六ツに開閉するので いつしか六ッ門といわれ 地名になった 加須市の不動様 総願寺の西門に忍城唯一の建造物として今に残[...]
涙橋跡碑
忍城主成田氏長が、縁切橋から甲斐姫を抱いて、やむなく離縁した妻を見送った際、妻はここにあった橋を渡る時に振り返り、視線の先に幼い娘をみとめ、涙を流したという伝説がある。記録にはないが、それにちなんでな[...]
