忍城 castle_oshi
成田御門跡
成田氏の築城した忍城で 一番古い地図からみると この地と本丸が築城当時のものと思われる それ故に 三の丸入口の門を成田門と名付けたものではあるまいかしかし成田町の地名は明治に入ってからであ[...]
三の丸と城代屋敷跡
成田門と太鼓門の間の東西の地が忍城三の丸で 西が城代家老山田大隅三千八百四十石の屋敷であった東は成田藪という竹藪で その東に人見島という木立の島があった
昭和五十四年[...]
沼橋御門跡
内行田沼に浮ぶ島に沼橋御門は東面と南面の二つの大きな御門がそびえていた 忍城十五門の内で一番景観の美しいものであったという島の南に十一代藩主の名君といわれた忠国侯が隠居されたので御屋敷とい[...]
皿尾城跡
永禄四年(一五六一年)三月上杉謙信輝虎は再参 忍を攻め皿尾の地に築城し 木戸監物入道玄斉に守らせたが成田氏と通じた為 謙信は怒って城を 焼き払うと『北越軍記』等にあるが 今は外張りという地名を残すのみ[...]
代官所跡
忍一の五番北東の一角は忍藩秩父山方代官と御蔵役代官の詰所で 山方代官は服部 松岡 野間等十一人 普請御蔵役は篠田 別所等九人であった 役宅は東町裏にあって代官町といっていた 代官所は後に奥御医師筆頭岸[...]
代官町 代官屋敷跡
秩父山方 樋普請 御蔵役の御代官屋敷が並んで居ったので 代官町と名付けていた 服部杢右衛門はじめ 井上 木口 鈴木 福田 松岡 栗本の各代官の居宅があって 北谷代官所に詰めていた[...]
三重櫓跡
明治六年忍城取り壊しの折 上棟札に元禄十三年とあったというから阿部侯三代正能の時代である白亜の三重櫓であったが老中職にあったので江戸城天守焼失のま、をは石田堤
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