縁切橋跡碑
〒361-0057 埼玉県行田市城西1丁目4
忍城主成田氏長は、妻の実家上州金山城主横瀬成繁と不仲になり、ついには妻との離婚を余儀なくされたと伝えられている。氏長はここにあった橋から妻を見送ったという伝説がある。記録にはないが、それにちなんで橋を縁切橋と呼んだと伝えられている。

この妻というのは、当時2歳だった甲斐姫の実の母である。氏長は甲斐姫を抱いて妻を見送ったという橋の伝説。 近くには、涙橋跡碑もあります。
〒361-0057 埼玉県行田市城西1丁目4
忍城主成田氏長は、妻の実家上州金山城主横瀬成繁と不仲になり、ついには妻との離婚を余儀なくされたと伝えられている。氏長はここにあった橋から妻を見送ったという伝説がある。記録にはないが、それにちなんで橋を縁切橋と呼んだと伝えられている。

この妻というのは、当時2歳だった甲斐姫の実の母である。氏長は甲斐姫を抱いて妻を見送ったという橋の伝説。 近くには、涙橋跡碑もあります。