涙橋跡碑
忍城主成田氏長が、縁切橋から甲斐姫を抱いて、やむなく離縁した妻を見送った際、妻はここにあった橋を渡る[...]
前砂の一里塚
江戸時代初期、参勤を契機として街道が整備され、主な街道には距離の目安として一里塚が築かれた。慶長見聞[...]
中川の碑
古代蓮の里からさきたま古墳公園方面へ サイクリングロードになっており、さきたま古墳公園までまっすぐ[...]
行田馬車鉄道発着所跡
明治十六年七月 上野熊谷 十七年六月上野高崎間 汽車が開通し 年とともに乗客増加し 行田吹上間不[...]
船着き場跡
下町が忍城に対して下町で星川の船着き場として 栄えた事が四百年前の記録に既にある 幕末には番所が[...]
長野口御門跡
長野口は、忍城の城下町行田の東北隅に位置し、長野口御門が設けられて、忍城の北東の守りの拠点になってい[...]
伊奈忠次・忠治墓
徳川家康の関東入封における伊奈忠次と大久保長安の功績は大きい。 長安は街道整備、中でも一里塚の創建[...]
権八地蔵(鴻巣市荊原)
「ごぞんじ、鈴ヶ森」江戸の処刑場です。 今でも歌舞伎の演目として人気がある「御存 鈴ヶ森」の一幕に[...]
下忍の一里塚(日光脇往還(館林道))
この一里嫁は、江戸時代に中山道の鴻巣市箕田から分かれて、行田を経て館林へと向かう街道であった「館林道[...]
