多聞櫓跡
多聞櫓というのは城の石垣の上の長屋の事で城壁を兼ねて兵器庫などに用いた大和多聞城の形式でこゝに立派な[...]
須加城跡
『吾妻鑑』承久三年(一二二一年)伏見宇治橋で奮戦したことが出ている須加弥太郎の裔 須加修理大夫が 忍[...]
帯曲輪跡
この地より西に三百米 やゝ櫛形の狭き曲輪を帯曲輪といって 忍城の北方の重要な地であった 大堰より城中[...]
地獄橋跡
春日神社の北西の大堰から取り入れた水は北谷沼 といわれた 東西はここから矢場 北は大堰まで三角の沼に[...]
太鼓門跡
忍城十五門の内の 一番奥で藩主居城の二の丸の入口にあった門で 東西に数百米めぐらされた白壁の塀の中央[...]
向吹御門跡
古く成田氏時代 向吹 江戸町 同心町の地は 一つの島をなし 城の東南の重要な曲輪であった 内行田曲[...]
大手御門跡
南北二百米、東西五十米の升形門内の桜松から望む大手門の偉容は壮観であった 北谷口御門からこの先まで[...]
皿尾口御門跡
忍城北西の御門として戦略的にも重要な所であったので堅固な曲輪で囲み 二つの谷と大きな格沢を利して守り[...]
御本陣跡
代々町年寄の八代樋口太郎三郎が本陣を仰せつかったのは安永四年(一七七五年)弘化三年(一八四五年)初午[...]
