涙橋跡碑
〒361-0051 埼玉県行田市矢場2丁目4
忍城主成田氏長が、縁切橋から甲斐姫を抱いて、やむなく離縁した妻を見送った際、妻はここにあった橋を渡る時に振り返り、視線の先に幼い娘をみとめ、涙を流したという伝説がある。記録にはないが、それにちなんでなみだ橋となったと伝えられている。
建立 行田ライオンズクラブ
協賛 小沢光太郎
軍記物、成田記によると甲斐姫の父「成田氏長」は、由良成繁(上野国金山城主)と不仲となり甲斐姫2歳の時に離縁という運びになったのだとか!いくつかの甲斐姫伝説の一幕である。

登場する妻は、由良成繁(上野国金山城主)の娘と想定される。由良成繁の妻、甲斐姫の母も武芸に秀でていたとされており、なるほど甲斐姫が関東一の武勇と美を兼ね備えていた事が伺える。 それにしてもこの話が本当であるならば、なんともいたたまれない出来事だったろうと推察する。 現場を見ると、縁切り橋跡碑がある場所からこの涙橋は確認できる。 縁切橋→涙橋と進んだこの先には、皿尾口門がある。 この皿尾口門から皿尾城方面へ、そして葛和田の渡しがある方に向かった事が伺える。葛和田の渡し方面には、一本道のように真っすぐ進む。

